むてきのこどものおき

オタク会社員にして男児×2の母。が実際に使用した育児グッズ等を、独断と偏見にもとづいたコメントつきで紹介。(カテゴリを選んでね)


 生理中といえど、いえ生理中でお腹が張っているからこそ、ボディメイクはしたいですよね。


しょーつ
 もちろんサニタリーショーツですから過度な締めつけはなく、でも普通のショーツを使うよりもきちんと引き締めてくれます。三分丈で腿までカバーしてくれるのが嬉しいところ。
 ウエストは二日目でも苦しくなりにくいV字仕様。裾の巻き上がりもありません。クロッチが二重構造だから羽つきナプキンも使えますよ。
 色は黒とブロンズモカの2色とのことです。

 子供を産んで以降、毎月の生理が軽くなったかと思えばさにあらず。
 量が激増したり、貧血がひどくなったり、完全に終わるまで2週間くらいかかるようになったり。生理痛は以前より多少軽くなったものの、後陣痛と変わらないくらいには相変わらず痛い。ん、後陣痛はおろか流産のときよりも痛かった昔の生理痛って、やっぱりやばかったんじゃと今気づいた(いや子宮内膜症でしたが)
 要するに面倒は産前よりもむしろ増えていたりするのが私の生理です。
 てことで、産後に経血量が増えた人なんてけっこういるんじゃないのかと思った次第。参考になるかならんかわかりませんが、現在使用中のシロモノを掲載しておきます。


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 タンポンではなく、陰唇に挟むようにして使うボディピースタイプ。自分的にまあまあ量が減ってきたときで、家にいるとき用。


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 月経過多症の人のための夜用。1〜2ヵ月おきにくる“特別多い月の多い日の夜”は正直コレ+タンポンでも不安。1日目と3日目の夜に使うくらいかな。


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 ウルトラスーパータンポン。スーパー+多い日用のコンボが1時間で大ピンチな私には必需品。コレと夜用なら、仕事中でも2時間半はもちます。


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 2日目の夜の救世主、ショーツ型ナプキン。コレとウルトラスーパータンポンなら、明け方トイレに起きるまで大丈夫だ!



 って、やっぱ多いような気がする……私の生理……

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 離乳食が始まったその日から、同じく始まるのが生ゴミとの戦い。
 材料をみじん切りにする系の料理をよく作る人ならわかると思う。なにしろ詰まるんです。水切れ悪いんです。でもなかなか溜まらないんです。だから臭うんです。三角コーナーが。
 離乳食って基本的に刻む・つぶす・裏ごすなわけで、作りおきしたときの調理クズや毎食の食べ残しがもう詰まること詰まること詰まること。また三角コーナーがね。マメにネットを替えてもなかなかどうしてね。夏なんてもうね。ゴミがあんまり出ないような料理が続いたときとか、なおさらね。

 この“三角コーナーいらず”は、下半分に細かい穴のあいた取っ手つきポリ袋を専用のフックにかけて、名のとおり三角コーナーがなくとも生ゴミを溜めておける代物です。これでぬめりが心配なひとも大丈夫。
 溜まったら取っ手を外し、結んでポイ。水気が気になるなら、安いから買ってみたけどかぶれちゃって使えなかった紙おむつ(長)を穿かせて捨てるのはどうだろう。古新聞で包むのもええですな。
 もっと早く見つけてればよかった。そこらのドラッグストアで多分売ってます。

2月23日(日) 産後6日

 仮面ライダー555のDXファイズドライバー、J−PHONEあたりで実際に携帯として売り出さないものか。売れると思うんだけどな。ってすでに構想中だったら申し訳ない。というか今朝初めてアバレンジャーを見たのだが、メンバーのひとりが職業・整体師って、あれは対象としてどのあたりを想定しているのか(よい子のお母さんたち、という言わずもがなの指摘はスルーの方向で)そもそもそれにしては“カリスマ整体師”という表現自体がすでに古い。まあそれ以前に、あいつが患者とどんな会話を交わしながら施術するのか、ぜひともストーリーに組み込んでもらいたいものだ。患者の層はもはや読めたような気がするがな。見ものだよ。
 ここに来て初めて、何の憂いもなく朝までぐっすり眠れたので、調子に乗って朝からこんなことを書いてみた。この前とは打って変わって静かだったせいか、それともようやく枕に慣れたのか。
 朝食後の検温のときに、一日の搾乳回数をもっと増やすようにと言われた。やはり数多く刺激すればするほど母乳の出がよくなっていくらしい。しかし、とすると時刻によっては見舞い客がいても搾れということだよな。……ちょっといやだな(もうくじけるのか)公開授乳と公開搾乳ってのは似て非なるものだろう、やっぱり。これを乗り越えてこそ母ということなのか?……そうなんだな。
 といっても、どのみち今日は3時ごろ―――――ばりばり面会時間だ―――――に誰が来ていようとも強引に搾乳を決行するつもりではいたのだ。なぜかといえば3時半になったら、2日ぶりに息子に面会できるので。
 午前中は何事というのもなく、シャワーを浴びたり乳を搾ったりして過ごす。1時半ごろになって、管制官が管制官姉と一緒に来てくれた。お祝いに息子の服とベビースリーパーをいただく。あの活発さだ、きっとスリーパーはひどく重宝するに違いない。サイズにゆとりがあるので来冬も使えるだろう。いいものをいただいてしまった。
 いろいろ話した後でNICUへ行き、カーテンを開けて息子を見せてもらう。身内とどざみ以外ではこれが初披露となった。さほど細いという印象は与えなかったようだったが、おそらく背が低いせいもあるだろう。なにしろふつうの新生児が身長50cmくらいで産まれてくるところを、39cmで産まれたのだから。管制官は近いうちにまた会社の同僚と来てくれると言って帰っていった。平日は来客が少なくて寂しいので平日がいいな、とリクエストする(その後管制官たちの都合がつく前に退院が決まってしまい、自宅に帰って落ち着いてから仕切り直しということになった)
 ……で、前述の宣言どおり3時に搾乳。昼前の検温のときに指導をお願いしておいた看護師さんに見てもらいつつ。曰く、やりかたは間違っていないがまんべんなく搾れていないため、母乳が溜まったままのところがあるそう。調べてもらいながら搾ってみたら、午前中の倍の量を出すことができた。最中に旦那と両親が来たので待っていてもらい、搾りたてのおっぱいを持ってみんなでNICUへ。
 入室し、まず保育器を外の両親に見せるためにカーテンを開ける。ちょうど哺乳の時間ということで、保育器の中にはすでに昼ごろ搾乳して届けた分と、足りない量を補う分のミルクがそれぞれ哺乳瓶に入って用意されていた。母乳のほうを先にあげてくださいと言われたのでそのようにする。息子は相変わらず飲みが弱く、ゴム乳首をくわえたままけっこうな時間をかけて休み休み飲み、途中で眠ってしまったり嫌がって暴れたりも。旦那と交代で飲ませ(るのに苦労し)、担当看護師さんのつけている経過記録ノートに目を通す。2月20日の欄に「ママ、初面会の感想があれば書いてください」とあったので、ちょろっとコメントを書き、ついでに息子の顔を描いてみた。描きながら、こいつはあとどれくらいここにいるのかなあなどと考える。なんにせよ私が先に退院するであろうことはほぼ確実だから、搾った母乳を凍らせて持ってくることになるのだろう。母乳の保存パック買わないといけないな。そんなことを考えている間、旦那はまたおむつ替えに挑戦していた。

 面会時間が終わったところで両親は帰り、昨日のライヴ後5時間くらいしか眠っていないという旦那は病室に戻った後うたた寝を始める。私はこの日記をつけたりどざみ夫婦にもらったルパンのムックを読んだり。そして6時ごろにまた搾乳。それが終わったところで旦那を起こし、帰り支度をしてもらってまた一緒にNICUへ届けに行って、ついでにまたまたカーテンを開けて外から見せてもらった。今日は一日で3回だ。さっきの面会のときに持っていった分を飲ませているところをガラスごしに眺める。全部飲みきったのを見て拍手。
 その間、明日以降は面会をできるだけがんがん入れたほうがいいね、などという話を旦那とした。というのも明日は入院以来の朝イチ検尿と、創部の抜鈎という2大イベントが控えており、その結果によっては、早くて26日ごろに退院できる気配が濃厚となってくるからなのだ。もちろんここの病院の性格からかんがみて、いつまでもはっきりした決断を聞かせてくれそうにないとも推測しているのだが。階段のところで旦那と別れ、旦那は1階へ、私は3階へ。戻りながら、抜鈎したら許可が出るまでシャワーが浴びられなくなることに思い至った。明日はシャワーを使える時刻になったら、すぐに浴びておいたほうがいいだろうな。
 退院後は、子供の世話に慣れるまでだいたい1ヶ月ほど実家で静養することにあらかじめ決めていた。まあこうなってしまうと私だけが先に実家に行き、後から息子が退院してきたら今度は二人で厄介になることとなるのだろう。それならば、できれば退院したその日くらいは自宅の自分の布団で眠りたい。というか本音では、息子が入院している間はまだ里帰りせずに、ずっと自分の家で休んでいたいのだが、それでは旦那もフォローしきれないし、なにより気が休まらないだろう。今回私が妊娠中毒症などにかかったのも、ごろごろしながらも朝にお弁当作ったりだ買い物行ったりだと、なんだかんだやっていたのが原因にあると思っている節がある。食事も注意していたし体重管理もできていたし休息もとっていた、体質なのだろうと医者から再三言われているにも関わらず、だ。
 母の話によれば、手術中待っているときの旦那の狼狽ぶりは相当なものであったらしい。手術を受けた当の私の恐怖心がわりと麻痺していたことを思うと、もしかすると私以上だったかもしれない。私には男の兄弟がいないし、父はなにか懸念があっても人前ではそれを意地でも隠してことさらに泰然とふるまう男なので、旦那のように正直にうろたえる男というのには、私は彼以外に馴染みがない。なのでこういうときなど、どこまで弱音を吐いても受けとめてもらえるものなのか、考えてしまうことはある。ただ、大事にされていることはとてもよくわかる。
 この人も私も、これから親にしてもらうのだろうな、と思う。
 息子に。
 今日は消灯前にもう一度搾乳してから寝ることにした。経膣分娩の人でも、順調に母乳が出てくるようになるまでには1ヶ月ほどかかることが多いと聞く。私はいつからになるのだろう。それ以前にそんな日は来るのだろうか。9時ごろ搾乳しているとき、その少し前に検温に来た看護師さんが様子を見にまた来てくれた。「疲れだけじゃなくてちょっとしたストレスでも母乳って止まってしまうから、何か心配事があったらすぐ言ってね」と言われる。何かないかと訊かれたのでないと答えたが、してみると多少なり顔に出てしまっていたか。私はナースコールも結局NSTの機械が止まってしまったときしか使わなかったくらいなので、そう言われると何かあっても逆に「ないです」と返してしまうたちであったりする。それで気がかりが全部身体に出たりする。面倒な性だ。
 搾乳終わって消灯。今日は5回で80cc。
 ああそうだ、生命保険の入院給付金、請求書類が手に入ったから、今のうちに明日にでも堂珍くん先生に渡すか誰かから渡してもらおう。











 保存できていたのはここまでです。
 本当はもう何日間か入院していてそれから私だけ先に退院したんですが、そのあたりの部分はまだファイル化していない紙と鉛筆の下書きだけでして、それも4年たった今となってはいったいどこにあるのか(苦笑)家の引っ越しもしたしなぁ。
 見苦しい心境もできるだけ隠さずに書いたので、いろいろみっともないところがあると思います。
 それでも、このなし崩しの強制入院〜出産の記録がどこかで誰かの参考になったりすればいいなと思うので、ここに掲載し直しておきます。

2月22日(土) 産後5日

 なんとか寝通せました〜(安堵)
 途中傷が引き攣れたり頭が痛くなったりして目が覚めたものの、全体としてはわりあい平穏に眠ることができて一安心する。頭痛も朝には軽くなっていた。肩こりのような気がする。
 ……肩こりであってほしいなあ。頭痛は妊娠中毒症後遺症の特徴のひとつなのである。
 産後5日目、ふつうに経膣で産んだのであれば、この病院では経産婦ならこの日で退院のはずだ(初産婦は6日目)私は帝王切開なので、順調であと4日。中毒症の経過によってはいつになることか―――――特にここの医者は、ぎりぎりまで経過を見て土壇場で決定するのが常のような気がするし。息子など、もっとわからない。とにかく搾乳量を増やせるように励むしか、できることがないというのが歯痒い。
 今は部屋に入って右の窓際にあるベッドに寝ているのだが、夜中に向かいのベッドに入ってきた人がいたので今朝になって挨拶をした。昨日お産で病院に来て、昨夜2人目の女の子を出産したとのこと。赤ちゃんの寝ているコットに貼られた名札を見せてもらうと、出生体重が3800gを超えている。息子の倍以上の重さかい。大きいな〜……うちのが小さいのもあるけど。
  ここに入院してもうすぐ10日になるが、じつは他の入院者と話をしたのはこの人が初めてのことだった。育児雑誌やマンガだと、産科病棟というのはもっと部屋の中でみんなおしゃべりしているようなイメージなので、自分でもひそかにそんな想像をしていたのに今までまったくそういうことがなかったのだ。といっても私自身あまり社交的なたちではないが(私から初対面の相手に話しかけるというのは内気者の逆療法。どうも、最初に後手を踏むとその先ずっと守勢に回ってしまいかねないという気持ちがあるらしい)、それでも寂しかったのは確か。それなのにやっと知り合いになれたその人は、朝食が終わるとすぐ隣の病室に移動になってしまった。おそらくは私に刺激を与えないようにという病院側の配慮なのだろうとわかるだけに、残念。
 午前中に搾乳できたのは18cc。NICUに届けに行った帰り、病棟のナースステーションで、この間から気になっていたNICUの費用の件について訊いてみた。が、一般の産科とは会計が違うのでわからないという返事。ただ保険診療の対象になり、NICUで訊けばだいたいの目安は教えてもらえるらしい。じゃあ明日の面会のときにでも言ってみようか。
 病室に戻ってきてから午前の検温。血圧は安定しているとのこと。授乳や搾乳の後というのは血圧が高くなりやすいらしく、そうならないのは非常によいことなんだそうな。搾乳するときのアドバイスとして、搾ればいつまでも出るようであっても、左右10分ずつ搾ったらやめたほうがいいと言われた。乳腺に負担をかけないためなのか、それとも一度に長いこと搾っているより、短く回数を多く搾れという意味なのか。どっちもありそうな理由だけれど。
 ところで今日は旦那のライヴがある。妊娠して以来まったく顔を出せていないが……退院して息子が少し大きくなったら、旦那の実家にでも預かってもらって久しぶりに行ってみようか。しかしうちの息子は周りの友達がピアノやバイオリンを習っているときに、自宅でFコードの練習をしているかもしれない。周囲にはヴォーカリストやらドラマーやら豊富にそろっているし、クラシックがよければ実の祖父にはフルーティストがいる。音楽環境だけはやたら充実していることである。ジャンルは確実に偏るだろうが。
 母方には……何も期待できんなあ。せいぜい酒を早く覚えるくらいが関の山だ。まあ真面目に教わる気があれば、泳げるようにしてやるくらいはできるけど。

 昼すぎ、搾乳が終わったところにちょうどよく両親が来たので、一緒にNICUへ届けに行った。
 窓のカーテンを開けてもらって外から覗くと、保育器の中でうつ伏せに眠っているのが見えた(うつ伏せを見るのは初めてだった)そして今まで腕につけられていた点滴が外れている。と、部屋の中から気づいたらしい担当の看護師さんが挨拶に出てきてくれた。夜勤明けでこれからあがるところだというのだが、疲れが顔に出ていても態度に見せないのはさすが職業意識というところか。
 話を聞くと、点滴の針を外したのは今朝。そして外気より25%濃く設定していた酸素も通常と同じ濃度になったらしい。それと短時間なら外に出せるようになったということなのか、息子は今朝、生まれて初めての沐浴をしたのだそうだ。その顛末はというと、嫌がって大泣き&大暴れ。撮った写真を見せてもらったが、ああこれは本当にものすごいおおあばれだ。洗ってくれたかたには申し訳ない限りだが、元気ということなのだと受けとめてかなり嬉しくなる。この件はあとで旦那に電話で報告した。
 それから、自分のほうの経過もまあ順調であるらしい。戻ってきてから堂珍くん先生の回診があったのだが、それによると尿蛋白の量が3g程度になり(一度下がったのがまた少し上がってしまったらしいけれど)、これが1〜2gの範囲で安定すれば退院することができるのだそう。妊娠後期から食べるのを我慢しているビッグマックに、少しずつでも近づけているか。塩分コントロールは今や出される食事におまかせであることだし、自己判断でセーブしていた水分は水とお茶だけ飲むことにして摂取量は解禁しよう。これからは搾乳量も増やさなければならないし、なにより便秘が怖い。
 それにしても入院して今日で10日になるが、妊娠してからこっちこれほど内容の濃い10日間というのはなかったと思う。いつものつもりで検診に行ったその日に生まれて初めて救急車に乗せられ、連日のように血を抜かれあれこれ調べられ、ついには腹を切って子供を出されちくちく縫われて、気がつけば自分でおっぱいを搾って保育器の中の息子に届けるまでになっていた10日間。つい10日前まではでかい腹を抱えて、3月にはもっと大きくなっているんだろうなとあたりまえのように思っていた。自分がこんなに早く、しかも帝王切開で産む立場になるのだとは考えてもいなかった。
 それなのに今は、初産で妊娠中毒症をやらかした身が二人目を経膣で産むためにはどうすればいいのか、などということをもう考えていたりする。まだ抜鈎もしていないのに。母親としてやっていけるのかも定かでないのに。女というのはそういうものなのか。
 ……もちろんこんな真面目なことばかり考えているのではなく、『ガンダムSEED』など見ながら夕ごはんを食べていたりもする。SEED……見たのはこれで2度目くらいだが、“連邦軍っぽい制服”を着ていない側にガンキャノンもどきがいたような気がしてわかりにくい(苦笑)そしてなぜかガンダムがやたらと某初号機のような動きをしていて、まるでガンダマニアの輪が70年代からぐるっと一周して閉じたような妙な印象。とはいえ第1話から通しで見てみたい気もないでもない。これで絵が流行のカワイイのでなければなあ。以上久しぶりにオタ話。
 食後にまた搾乳して検温。今日の一日の総搾乳量は4回で54ccだった。
 しかし気がかりなのはいまだ安定しないお通じ。これは経膣分娩の人も帝王切開の人も同じだろうが、産後しばらくの間は傷が痛くて思うようにいきむことができないからなのだと思う。特に制限がなければ、水分は多く摂るにこしたことはない―――――これから出産されるかた、くれぐれもお心置きを。